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2005.03.07

戦艦大和の最期にまつわる話

 昨日の法要に来ていただいた住職からうかがった話である。

 戦時中,駆逐艦に乗船されておられたとのことである。
 戦争末期,沖縄に上陸した米軍に対抗する手段として,戦艦大和を沖縄沖に派遣して米軍に損害を与えるという作戦が実行に移された。
 生きて帰ることは想定されておらず,いわゆる特攻であった。
 なお,ミッドウエー海戦等で日本軍が致命的な敗北を喫し,その能力が極端に低下していることは知らされていたとのことである。
 住職は,戦艦大和に随伴して沖縄に赴く駆逐艦に乗船されておられたとのこと。
 燃料は,片道分のみ(但し,資料によれば往復分がつまれていたというものもあるようである)。
 当時,日本軍の作戦は,米軍に筒抜けとのことで,また制空権は完全に米軍に握られていた。
 行き着くまでに多数の米空軍の攻撃を受けてどうにもならなくなったとのこと。
 乗っておられた駆逐艦は,船尾が爆弾でやられて身動きがとれなくなり,その後,前方が魚雷にやられて沈没に至ったとのこと。
 沈没まえに退艦命令が出たために,海に飛び込んだとのこと。
 その後,5〜6時間ほど立ち泳ぎや浮遊物に捕まったりで命を長らえ,夕刻に捜索に来た友軍に運良く救助されて一命を取り留めたとのこと。
 沈没後も,戦闘機からの機銃掃射の嵐だったとのこと。
 機銃掃射或いは泳ぎ疲れて命を落としたものは多数にのぼったとのこと。
 飛び込むのが遅かったり,泳ぎが下手な者は船から余り離れることが出来ず,沈没した船から流出する重油をかぶらざるを得ず,このようになるとほぼ助からなかったようだ。
 泳げない方々を助けようにも,各々が自らのことで精一杯で,それどころでなかったとのこと。
 友軍の捜索は,米軍の攻撃を避けるために夕刻にずれ込むことになったとのこと。
 それも,再来襲の危険及び闇になると捜索自体が出来ないことから,短時間のものだったようだ。
 そのため,救助され得なかった者も少なからずいたようだとのこと。
 このような中で生還できたことは奇跡的なことかもしれない。
 作戦が完遂されていれば,当然,命は無かったものと考えられる。
 住職は,救助されたときには負傷していたとのことであるが,救助された後も直ちに本土に戻されることはなく,他の救助された者とともにどこかの小島にしばらく隔離されていたとのことである。
 勿論,戦艦大和が沈没したとの情報が,国民に知られることを防ぐための措置である。
 なお,その戦艦大和は,弾薬庫が被災し,ごく短時間に沈没したとのこと。
 最後の手段である戦艦を4月7日に失い,その後有効な手段が全く無いにもかかわらず,軍部はそれ以後も鹿児島から特攻機を飛ばし続けた。
 住職は,このことを特に嘆いておられた。
 既に確定していた敗戦が,正式に受け入れたのは8月15日である。
 ある程度の事実関係等は記録等で理解していたが,実際に体験をされた方の話を聞くと,感じ方は大きく異なる。
 戦争が終わったのは1945年。
 よく考えれば,今年はその年から数えて60年目にあたる。

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