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2005.07.03

(医療事故関連)平成9年2月25日最高裁判所第三小法廷判決

判例 H09.02.25 第三小法廷・判決 平成7(オ)1205 損害賠償(第51巻2号502頁)

判示事項:
  一 医療過誤訴訟において鑑定のみに依拠してされた顆粒球減少症の起因剤の認定に経験則違反の違法があるとされた事例

二 医療過誤訴訟において鑑定のみに依拠してされた顆粒球減少症の発症日の認定に経験則違反の違法があるとされた事例

三 顆粒球減少症の副作用を有する薬剤を長期間継続的に投与された患者に薬疹の可能性のある発疹を認めた場合における開業医の義務

要旨:
  一 顆粒球減少症の副作用を有する複数の薬剤の投与を原因として患者が同症にかかった場合において、鑑定は、右薬剤はいずれも起因剤と断定するには難点があり、発症時期に最も近接した時期に投与されたネオマイゾンが最も疑われるが確証がなく、複数の右薬剤の相互作用により同症が発症することはあり得るものの本件においては右相互作用による発症は医学的に具体的に証明されていないとするにとどまり、本件において右相互作用により同症が発症したという蓋然住を否定するものではなく、証拠として提出された医学文献には同症の病因論は未完成な部分が多く個々の症例において起因剤を決定することは困難なことが多い旨が記載されているなど判示の事実関係の下においては、右鑑定のみに依拠してネオマイゾンを唯一単独の起因剤と認定することには、経験則違反の違法がある。

二 顆粒球減少症の副作用を有する複数の薬剤の投与を原因として患者が同症にかかった場合において、鑑定は、四月一四日より前の患者の病歴に同症発症を確認し得る検査所見及び症候がないこと並びに同日以降の患者の症状の急激な進行から推測して、発症日を四月一三日から一四日朝とするが、これは患者の同症発症日をどこまでさかのぼり得るかについて科学的、医学的見地から確実に証明できることだけを述べたにすぎないものであり、他方、同症発症を確認し得る検査所見及び症候がないのは医師が同症特有の症状の有無に注意を払った問診及び診察をしなかった結果にすぎず、患者の症状の進行が急激であったと断ずるには疑いを生じさせる事情も存在するなど判示の事実関係の下においては、右鑑定のみに依拠して発症日は四月一三日から一四日朝と認定することには、経験則違反の違法がある。

三 開業医は、顆粒球減少症の副作用を有する多種の薬剤を長期間継続的に投与された患者について薬疹の可能性のある発疹を認めた場合においては、自院又は他の診療機関において患者が必要な検査、治療を速やかに受けることができるように相応の配慮をすべき義務がある。

参照・法条:
  民法415条,民法709条,民訴法185条,民訴法394条

内容:
 件名  損害賠償 (最高裁判所 平成7(オ)1205 第三小法廷・判決 破棄差戻)
 原審  H07.02.22 広島高等裁判所

主    文

     原判決を破棄する。
     本件を広島高等裁判所に差し戻す。
         

理    由

 上告人らの上告理由第一及び第二について
 一 本件は、a(大正七年三月一三日生)が風邪で、医師である被上告人らによる診療を受けたが、被上告人らの投与した抗生物質等の薬剤が原因で顆粒球減少症にかかって死亡したことにつき、aの相続人である上告人らが、被上告人らにはaに対する診療についての注意義務違反があったと主張して、債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償を請求する事案であり、原審は、被上告人bには上告人ら主張に係る注意義務違反の一部が認められるが、これとaの死亡の結果との間には相当因果関係が認められず、同cには注意義務違反が認められないとして、上告人らの請求を棄却すべきものとした。
 二 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
 1 顆粒球減少症(以下「本症」という。)について
  (一) 本症は、白血球のうち顆粒球が正常範囲以下に減少することにより引き起こされる病態をいい、顆粒球の約九五パーセントを占める好中球数が一五〇〇以下(一立方ミリメートル当たり。白血球数及び好中球数について以下同様。)の場合を指す。本症は、薬剤等を原因として、骨髄において生成される顆粒球の数が減少し又は未しょう血液中において消費若しくは破壊される顆粒球の数が増加することにより発生する。好中球は、体内の細菌等を消化、分解する機能を担っており、その比率は白血球総数の五〇パーセントを上限とする。なお、白血球数は、個人差が大きいが、五〇〇〇ないし八五〇〇の間に七〇パーセントの人が含まれる。
  (二) 薬剤に起因する本症の発症機序には、(1) 薬物固有の作用により、投与量が多過ぎた場合に発症する中毒性、(2) (1)と同じ機序によるが、通常使用量が投与された場合において個人の素質により発症する過反応性の中毒性、(3) 薬物が体内のたん白と結合して抗原となり、生体がそれに対する抗体を作り、次に薬物が入ったときに抗原抗体反応が起こり、その結果発症するアレルギー性、が考えられる。
    被上告人らがaに投与した薬剤のうち、本症の副作用を有するものは、リンコシン、ラリキシン、ソルシリン、ネオマイゾン、複合トローチ(以上抗生物質)、オベロン、グリンケンH(以上ピリン系鎮痛解熱剤)、ケルヘチーナ(以上サルファ剤)、PL顆粒、バファリン、ソランタール(以上非ピリン系鎮痛解熱剤)、濃厚プロチンコデイン液、フスタゾール(以上鎮咳剤)であり、そのうち成人通常使用量を超えて投与されたのは、被上告人bが投与したケルヘチーナ及び同cが投与したリンコシンである。
    本症は、右薬剤のうち複数のものによる加重作用、相乗作用などの相互作用を原因としても発症し得る。
  (三) 本症の発症に伴い、発疹が生ずることがある。
    慢性型や軽症型の本症は、初期はほとんど無症状で、発症前の一ないし二日間、易疲労感等の前駆的症状がみられる。軽症なら、原因薬剤の投与が完全に中止されると、経過観察のみにより、一ないし二週間で顆粒球は正常値に回復する。中等症以上の場合でも、薬剤投与中止、感染症防止のための適切な抗生物質の選択投与等により、重症に至ることなく回復を期待できる。
    急性激症型の本症は、重症感を持った全身倦怠感などを伴って急激に高熱を発し、いったん発生した高熱は持続し、解熱剤に反応し難い。また、強い喉の痛みを訴え、舌、口唇、食道、さらには胃腸に糜欄、潰瘍が発生し、嚥下困難、嘔吐などが生ずる。以上の症状は、数時間から二ないし三日で出そろうことが多い。原因薬剤が除去されない場合には、発症後二ないし三日で重症感染症を併発して死亡する。主な死因は、敗血症、肺炎である。
    アミノピリンなどピラゾール系薬剤による症例は急性激症型を呈することが多く、クロラムフェニコール(ネオマイゾンはこの系列に属する。)、サルファ剤(ケルヘチーナはこの系列に属する。)による症例は慢性型を呈することが多い。
  (四) 本症の治療上最も重要なのは、早期発見及び原因薬剤の即時投与中止であり、次いで二次感染誘発防止である。早期発見のためには、本症の副作用を有する薬剤の記憶、使用時の頻繁な血液検査及び白血球分画検査(好中球数等を調べる検査)並びに本症特有の症状を直ちに報告する旨の患者に対する指導が大切である。
 2 被上告人bによるaの診療の経過
  (一) aは、夫である上告人dと共に、山口県下関市内で質屋を経営していたが、被上告人bが昭和四八年九月ころa宅の近所にニシカワ医院を開業して以来、同被上告人にかかるようになった。
  (二) aは、同五一年三月一四日、風邪をひいて発熱及び喉の痛みを訴え始めた。被上告人bは、同月一七日及び一八日は往診により、同月一九日、二二日、二四日及び同月二六日から同年四月一四日までの毎日(日曜日を除く)はニシカワ医院において、aの診療に当たり、右期間中に本症の副作用を有する多種の薬剤をaに継続的に投与したが、その薬剤名及び投与量は別表記載のとおりである。
  (三) aは、同年三月一九日から同月二四日までは微熱が有ってほとんど床に就いていたが、同月二五日からは椅子に座って従業員の指導ができるようになった。aは、同年四月五日に再び三八度の熱を出し、同被上告人の投薬により翌日には熱が引いたが、同月七日には咳少々と両肩の痛みを訴え、同月一〇日には咳がひどい状態であった。
  (四) 同月一二日、aの体に発疹が現れ始めていたが、被上告人bはこれを見落とした。
    同被上告人は、同月一四日、aの訴えによりaの体に発疹を認め、じんましん、湿疹、風疹、薬疹を疑い、既に投与した薬剤の投与を中止し、念のため他の病院に検査入院をすることを勧めた。
    aは、同月一二日から一四日までの毎日、耳鼻咽喉科のe医師にもかかった。同医師は、aに重症感を抱かなかったが、総合病院における検査を勧めた。
  (五) aは、同月一四日の帰宅後、苦しいので、国立下関病院(以下「国立病院」という。)に入院する意思を固め、使いの者を介して被上告人bに国立病院への紹介を依頼した。同被上告人は、検査及び治療を依頼する旨並びに治療経過及び投薬状況を記載した国立病院あての紹介状を作成して使いの者に交付し、国立病院を始めいくつかの総合病院に空床の有無を電話照会したが、いずれも満床を理由に断られた。同被上告人は、入院先として被上告人cの開設する外科病院であるカマチ病院を紹介し、aは同病院が総合病院でないことから不安を抱いたが、翌朝国立病院に入院すればよいと考えて、カマチ病院に入院することにした。被上告人bは、同cに対して、電話で、「aは、希望の国立病院に入院できない。風疹のようで、ひどくはないが、神経質で不安感が強い患者なので、国立病院に入院できるまで預かってくれ。発疹は風疹と思われるが判然としない、諸検査治療をよろしく頼む。」と説明し、また、aの使いの者に対して、国立病院あての紹介状をカマチ病院に渡すように伝えた。
 3 被上告人cによるaの診療の経過
  (一) aは、昭和五一年四月一四日午後四時二〇分、カマチ病院に入院した。aの体温は三五・五度で、重症感はなかった。被上告人cは、aは当時流行していた風疹の可能性が最も高いが、感染症の疑いもあると診断した。同被上告人は、血液検査のため同日午後四時三〇分にaから採血したが、検査結果が判明したのはa退院後の同月一六日であり、その白血球数は二八〇〇であった。また、同被上告人は、白血球分画検査は実施しなかった。
    同被上告人の指示により、同月一四日午後七時、aに対するリンコシン六〇〇ミリグラムの筋肉注射が行われた。
  (二) 同月一五日には、aに対するリンコシン六〇〇ミリグラムの筋肉注射が、午前零時、同六時、正午、午後六時の四回にわたって行われた。aの娘である上告人fが、被上告人bに対し、同日国立病院に転院できなかったこと及びカマチ病院における治療内容に対する不信を訴えたので、同被上告人は、同日正午ころ、カマチ病院に往診してaを診察した。
  (三) 同月一六日には、aに対するリンコシン六〇〇ミリグラムの筋肉注射が、午前零時、同六時の二回にわたって行われた。a及び上告人らは、同日午前八時三〇分ころ、被上告人cに無断でカマチ病院を退院しようとしたため、両者間で押し問答になったが、結局aは退院し、同被上告人は非定型的風疹と考えている旨の国立病院内科外来あての紹介状をaに作成交付した。
 4 国立病院における治療の経過
  (一) aは、昭和五一年四月一六日午前、国立病院外来において診察を受け、主治医となったg医師は、中毒性発疹と診断し、直ちにaを同病院に入院させた。同日行われた白血球分画検査の結果、同日中に白血球数は一八〇〇、好中球数は零と判明し、g医師は、aを本症と診断した。
  (二) aは、同月一九日に四〇度の高熱を発し、以後高熱が持続した。同月二〇日に行われた検査の結果、aの白血球数は七〇〇であり、本症による敗血症を併発していることが判明した。aは、同月二三日、敗血症に基づく内毒素性ショックで死亡した。
 5 aの本症の発症時期、原因
  (一) 被上告人らがaに投与した薬剤に本症の副作用を有するものが多数存し、右の薬剤以外の原因を疑うに足りる資料はないから、aの本症発症の原因としては、右の薬剤が最も疑われる。
  (二) 好中球数は最大でも白血球数の五〇パーセントであり、好中球数一五〇〇以下の場合が本症とされるので、白血球数二八〇〇という検査結果のある四月一四日午後四時三〇分における好中球数は零と一四〇〇の間と推定され、この時点においては本症が発症していたといえる。それ以前には、本症の特徴である高熱の持続などの症状がみられず、同月一二日から一四日にかけて診察に当たった原医師もaに重症感を抱いていない。発疹が生じたのが四月一二日であるから、aの発症時期を四月一三日から一四日朝にかけてとする鑑定の結果及び鑑定人の証言。(以下「本件鑑定」という。)は支持し得る。
    aの本症は、四月一四日は平熱で重症感がなく、同月一九日から四〇度前後の高熱が続き、白血球数も同月一四日の二八〇〇から、同月一六日に一八〇〇、同月二〇日に七〇〇と急激に減少したことに照らすと、急性の劇症型に近いものと認められる。
  (三) そこで進んで、被上告人らがaに投与した薬剤のうち本症発症の原因となった起因剤の特定が、検討されなければならない。
   (1) 被上告人bが三月に投与したリンコシンは、投与の際に副作用らしき症状は起こっておらず、起因剤としての蓋然性は低い。被上告人cが四月一四日以後に投与したリンコシンは、本症発症後の投与であるから起因剤ではなく、三月の投与の際に副作用が生じておらず、成人通常使用量の二倍程度が使用されたにすぎないから、アレルギー反応により本症を悪化させた可能性は極めて少ない。
   (2) ラリキシン及びソルシリンによるアレルギー反応、ケルヘチーナによるアレルギー反応並びにオベロン、バファリン及びPL顆粒によるアレルギー反応により本症が発症する可能性はあるが、いずれの薬剤も発疹が生じた時期よりもかなり前に投与されているから、本症発症の原因としての蓋然性は低い。
   (3) 四月一〇日から一三日に投与されたネオマイゾンが、発疹の発生時期などから、起因剤としては最も疑わしい。もっとも、ネオマイゾンの血液毒性についての報告例には、赤血球系のものが多く、白血球系のものは少ないし、投与量、投与期間に係る中毒性機序のものが大半であるところ、aには成人通常使用量が投与されたにすぎないから、通常の中毒性機序は考えられず、過反応性の中毒性機序により発症したものと考えられる。
   (4) その他の薬剤については、起因剤となった可能性を認めることはできない。
   (5) 本件鑑定によれば、本件においてaに投与された複数の薬剤による加重作用、相乗作用などの相互作用を原因として本症が発症したことは、医学的に具体的には証明されていないと認められる。
   (6) 以上によれば、本件鑑定を採用して、aの本症は、ネオマイゾンによる過反応性の中毒性機序により発症したものと認定すべきである。
 三 原審は、右事実関係に基づき、次のとおり判断して、上告人らの請求を棄却すべきものとした。
 1 被上告人bについて
  (一) 被上告人bがaに多種多量の薬剤を投与したことが過剰治療であったとはいえず、この点について同被上告人に注意義務違反があるということはできない。
  (二) 被上告人bは、aが再度発熱した四月五日又は遅くとも咳がひどい状態であった四月一〇日には、血液検査等を行うべきであり、これを怠った点に検査義務違反がある。しかし、本症は、同日以後投与されたネオマイゾンにより同月一三日ないし一四日朝に発症したものであるから、右検査義務違反と本症の発症との間に因果関係はない。
  (三) 被上告人bは、三月一七日以後本症の副作用を有する薬剤を継続投与し、本症の発症に伴い発疹を生ずることがあるのに、四月一二日にaの発疹を見落とし、同月一四日にaが発疹を訴えるまで何ら問診等をしていない点に、経過観察義務違反がある。しかし、当時流行していた風疹による発疹と薬疹の識別は困難であり、本件の起因剤であるネオマイゾンは一般的には投与量に係る中毒性機序により本症を発症させる薬剤であるから、ネオマイゾンの成人通常使用量を二日間投与した段階である同月一二日にaの発疹を確認しても、直ちに本症発生を予見し、投薬を中止し、血液検査をすべき義務があったといえるかは疑問であるといわざるを得ない。そして、aの本症がネオマイゾンでは通常起こり得ない過反応性の中毒性機序による急性の激症型に近いものであったことを考慮すると、被上告人bの経過観察義務違反とaの本症発症との間には、相当因果関係がない。
  (四) 被上告人bが四月一四日にaの発疹を確認した際直ちに本症と確定診断しなかったことは、誤診とはいえず、治療のための措置も適切であった。薬疹の疑いのある発疹を認めても、同時に本症併発を示唆する高熱、喉の痛み、全身状態としての重症感などの症候がみられないのに、全例について直ちに本症の発症を想定した血液検査等を実施すべきであるとまではいえない。
  (五) 被上告人bは、本症と確定診断していない四月一四日の時点では、aないしその家族である上告人らに対し、発疹が本症による薬疹であると説明する義務はない。
  (六) 被上告人bは、aに検査入院を勧め、治療経過及び投薬状況等を記載した国立病院あて紹介状をa側に作成交付し、カマチ病院に転院させる際にも被上告人cに諸検査と治療を依頼し、a側に対して国立病院あて紹介状をカマチ病院に渡すように指示したから、転医義務及びその際の引継義務を尽くした。
  (七) 国立病院への転院を求めるaらに対して、被上告人bが同病院は満床であるなどとうそを言って転院を妨害した旨の上告人ら主張事実は、証明がない。
 2 被上告人cについて
  (一) aのカマチ病院への入院は一時的に預かる趣旨であり、いずれ国立病院での専門的検査が見込まれたこと、aに薬疹の疑いのある発疹はあったが発熱や重症感がなかったことからすると、被上告人cに、本症の発症を予見して白血球数のみならず好中球数をも調べるため白血球分画検査を実施する義務や、検査結果を即日判明させる義務があったとはいえない。
  (二) 当時の風疹の流行、風疹による発疹と薬疹の識別は困難であること、aの本症はネオマイゾンを唯一単独の起因剤として過反応性の中毒性機序により発症した上急性の激症型に近い進行をたどったものであること、当時aに発熱や重症感がなかったこと、ネオマイゾンとリンコシンは全く別の医薬系統に属すること、本件鑑定もリンコシンがaの本症を悪化させた可能性は少ないとしていることからすると、被上告人cがaは風疹の可能性が最も高いと診断した上リンコシンを投与したことを診療行為上の過失に当たると断定することはできないし、右のリンコシンの投与と本症の悪化との間に相当因果関係があるということもできない。
  (三) 被上告人cがaについて本症と確定診断しながらあえて風疹の疑いという記載のある紹介状を国立病院に提出して同bの隠蔽工作に荷担した旨の上告人ら主張事実は、証明がない。
 四 しかしながら、原審の右認定判断は、少なくとも以下の説示と異なる限度において、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
 1 起因剤及び発症日の認定並びにこれに伴う因果関係等の判断について
  (一) 訴訟上の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実の存在を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。
  (二) 原審は、被上告人bの四月五日又は一〇日の時点における検査義務違反とaの本症発症との間の因果関係及び同月一二日の時点における経過観察義務違反とaの本症発症との間の因果関係をいずれも否定した。原審の右判断の根拠は、aの本症が四月一〇日以後に投与されたネオマイゾンを起因剤として過反応性の中毒性機序により同月一三日ないし一四日朝に発症したという認定事実にある。
  (三) しかしながら、本件においては、(1) 被上告人bが本症の副作用を有する多種の薬剤を約四週間にわたりaに投与してきたこと、(2) 遅くとも四月一二日にはaに発疹が生じたこと、(3) 遅くとも同月一四日にはaに本症が発症していたことを裏付ける血液検査の結果があること、(4) 本症の発症に伴い発疹を生ずることがあること、(5) aに投与された薬剤の相互作用によっても本症が発症し得ること、などの原審認定事実によれば、「aの本症の原因は被上告人bがaに投与した薬剤のうちの一つであること又はその複数の相互作用であること及びaは遅くとも発疹が生じた四月一二日には本症を発症していたこと」が真実の高度の蓋然性をもって証明されたものというべきである(なお、同被上告人が本症の副作用を有する多種の薬剤をaに長期間投与してきたという本件においては、右薬剤のうちの一つ又はその複数の相互作用が本症発症の原因であったという程度の事実を前提として被上告人らの注意義務違反の有無を判断することも、通常は可能であり、常に起因剤を厳密に特定する必要があるものではない)。
    ところで、原審は、本件鑑定のみに依拠して、ネオマイゾンがaの本症の唯一の起因剤であり、aの本症発症日は四月一三日から一四日朝であると認定したものであることは、原判決の説示から明らかである。そこで、原審の本件鑑定に対する証拠評価の適否について検討する。
  (四) 起因剤の認定について
   (1) 本件鑑定は、四月一〇日から同月一三日までの間にaに投与されたネオマイゾンが唯一の起因剤として最も疑われると判断する。
   (2) しかしながら、本件鑑定は、被上告人bがaに投与した薬剤については、ネオマイゾンを含めていずれも起因剤と断定するには難点があるものであることを認めつつ、aの発症時期に最も近接した時期に投与されたことを論拠として「ネオマイゾンが起因剤として最も疑われるが確証がない」とし、複数の右薬剤の相互作用により本症が発症することはあり得るものの、本件においては、そのような相互作用による本症の発症は医学的に具体的に証明されていない、とするものであって、その蓋然性を否定するものではない。
   (3) 本件の証拠として提出された医学文献(甲第二九号証、乙第四号証の一、二)には、「本症の病因論は未完成な部分が多く、薬剤による好中球減少の機序は多様であり、詳細な機序については決定的なことはいえず、個々の症例において原因薬剤を決定することは困難なことが多い。」旨が記載されていることからすると、ネオマイゾンが最も疑われるが確証がないという本件鑑定のみからネオマイゾンを唯一単独の起因剤と認定することには、著しく無理があるものといわざるを得ない。
  (五) 発症日の認定について
   (1) 本件鑑定は、発症日を四月一三日から一四日朝と判断し、その論拠として、四月一四日より前のaの病歴に本症発症を確認し得る検査所見及び症候がないこと並びに同日以降のaの症状の急激な進行から推測すると同日よりも相当前に発症していたとはいえないことを挙げる。
   (2) しかしながら、四月一四日より前のaの病歴に本症発症を確認し得る検査所見等がないというのは、同日までに白血球分画検査並びに本症発症の可能性をも想定した問診及び診察がされたにもかかわらず本症の発症が認められなかったというのではなく、被上告人bがaには既に同月一二日に発疹が生じていたにもかかわらずこれを看過し診療契約上の検査義務及び経過観察義務を怠り、客観的検査を行わず、本症特有の症状の有無に意識的に注意を払った問診及び診察もされなかった結果をいうにすぎない。
     また、本件鑑定は、同被上告人によりaに投与された薬剤を原因として四月一三日よりも前に本症が発症していた可能性を一般的に否定するものではないが、このことを科学的、医学的に証明できるだけの事実を見いだすことができなかったという趣旨のもので、aの本症発症日をどこまでさかのぼり得るかについて科学的、医学的見地から確実に証明できることだけを述べたにとどまる。
   (3) 本件鑑定のうち四月一四日以降のaの症状の進行が急激であるとする点については、同日の白血球数が二八〇〇であるから同日の好中球数は零から一四〇〇の間とは推定されるがその正確な数は不明であり、本症の発症が同月一三日よりも前である可能性が存する以上同月一六日の好中球数が零であることを考慮してもなぜ症状の進行が急激であったと評価できるのか疑問となり、この点を重視するのも相当でない。
     なお、原審の確定したところによると、急性型の本症では数時間から二ないし三日で重症感を持った全身倦怠感などを伴う高熱などの症状が出そろうというのであるが、aは、本症にかかったという四月一四日から同月一八日までの五日間は右症状を呈しておらず、同月一九日に初めて四〇度の高熱を発したというのであるから、右発熱の経緯からいえば、aの本症が右にいう急性型であったと断ずるには疑問があり、他方、原審認定に係るaの症状は、「初期はほとんど無症状であり、発症前の一ないし二日間、易疲労感等の前駆的症状がみられる」という慢性型の本症が重症化したものであるとの説明を否定し去ることは困難である。
  (六) 以上によれば、本件鑑定は、aの病状のすべてを合理的に説明し得ているものではなく、経験科学に属する医学の分野における一つの仮説を述べたにとどまり、医学研究の見地からはともかく、訴訟上の証明の見地からみれば起因剤及び発症日を認定する際の決定的な証拠資料ということはできない。そうすると、本件鑑定のみに依拠して、ネオマイゾンが唯一単独の起因剤であり、aの本症発症日を四月一三日から一四日朝とした原審認定は、経験則に違反したものというべきである。
  (七) そうすると、aの本症がネオマイゾンを唯一単独の起因剤として四月一三日から一四日朝に発症したものであることを前提として被上告人bの四月五日又は一〇日の時点における検査義務違反及び同月一二日の時点における経過観察義務違反とaの本症発症との間には因果関係が認められないとした原審の判断は、是認することができない。
  (八) また、原審は、aの本症はネオマイゾンを唯一単独の起因剤として過反応性の中毒性機序により発症した上急性の激症型に近い進行をたどったものであること、ネオマイゾンとリンコシンは全く別の医薬系統に属することなどを根拠に、被上告人cがaにリンコシンを投与したこと等に過失はなく、また、右のリンコシンの投与とaの本症の悪化との間には相当因果関係が認められないと判断したが、同被上告人の過失及び相当因果関係に関する右判断は、ネオマイゾンが本症の唯一の起因剤であることを前提とするものであって、以上に説示したとおりこれを是認することができない。原審の右判断には経験別違反ないし審理不尽、理由不備の違法を免れないというべきである。
 2 被上告人bの注意義務違反について
  (一) 被上告人bのような開業医の役割は、風邪などの比較的軽度の病気の治療に当たるとともに、患者に重大な病気の可能性がある場合には高度な医療を施すことのできる診療機関に転医させることにあるのであって、開業医が、長期間にわたり毎日のように通院してきているのに病状が回復せずかえって悪化さえみられるような患者について右診療機関に転医させるべき疑いのある症候を見落とすということは、その職務上の使命の遂行に著しく欠けるところがあるものというべきである。
  (二) ところで、原審は、風疹による発疹と薬疹の識別は困難であり、起因剤であるネオマイゾンは一般的には投与量に係る中毒性機序により本症を発症させるところ四月一二日までに成人通常使用量二日分が投与されたにすぎないから、仮に被上告人bがaに発疹が生じた四月一二日に右発疹を確認したとしても、同日の時点において同被上告人に本症発症を予見し、投薬を中止し、血液検査をすべき義務はないと判断した。
  (三) しかしながら、右(一)の見地に立って本件を見るのに、開業医が本症の副作用を有する多種の薬剤を長期間継続的に投与された患者について薬疹の可能性のある発疹を認めた場合においては、自院又は他の診療機関において患者が必要な検査、治療を速やかに受けることができるように相応の配慮をすべき義務があるというべきであり、aの発疹が薬疹によるものである可能性は否定できず、本症の副作用を有する多種の薬剤を長期間継続的に投与されたものである以上はネオマイゾンによる中毒性機序のみを注意義務の判断の前提とすることも適当でないから、原審の確定した事実関係によっても、同被上告人に本症発症を予見し、投薬を中止し、血液検査をすべき注意義務がないと速断した原審の右判断には、診療契約上の注意義務に関する法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ない。
 3 原判決には右1及び2で説示した法令違反及び審理不尽、理由不備の違法があり、右違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨はこれと同旨をいうものとして理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、以上の説示に従い、事実認定及び法律判断の全般について審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
 よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
     最高裁判所第三小法廷
         裁判長裁判官    大   野   正   男
            裁判官    園   部   逸   夫
            裁判官    可   部   恒   雄
            裁判官    千   種   秀   夫
            裁判官    尾   崎   行   信
(表は末尾添付)

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