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2006.02.26

評価(採点)

 難しい。
 ソルトレークオリンピックでのフィギュアスケートの採点基準のあいまいさについて批判があった。その結果として生まれた新基準。技術を一つ一つ分解して,それに点数(加点・減点)を付して,その合算値で勝敗を決するものへと変更された。
 客観的な判断ができるものとなったということだけは言える。あとは,各項目設定の仕方或いは各項目毎の加点及び減点理由の妥当性ということになろう。但し,この方法の是非については意見が色々あるようだ。
 なお,このような採点方法は,フィギュアスケートにおいては技術的な項目を列挙することが出来且つその個々の項目の評価が可能であることから成り立つものである。
 従って,このような採点方法が,他のいかなる競技においても流用できるというものでもなかろう。
 音楽のコンクール等での採点などはどのようなものなのであろうか(このような舞台裏について書かれた著作をいくつか拝読したことはある)。ミスについては評価はわりあい簡単かも知れないが,それ以外のマイナス面や積極な面については,それらを個々細分化した上で各数値化することがかなり困難な部類に属するのだろうと思う。それでも,審査員の耳には一定のレベルというものが経験的に確立しているのだろう。そのため,1位無しの2位や1位2位無しの3位というものが生じるのだろう。

 本日は,他人のディスカションを聴いてそれを評価する役回りだった。或テーマに関する他人間の議論を聴いて,その評価を数値化するということも難しい。前もってある程度の心構えのライン築いておくものの,十分にはほど遠い。というより,何が飛び出すのかわからないものについて厳密に細分化しその点数を事前に定めておくことは不可能だし,また,無理矢理に作った基準を形式的に適用することは妥当でない場合が多いのだろうと思う。
 よって,自らの経験・感性等を元にした主観的要素が大きくなることは避けがたいと言わざるを得ない。
 それでも以前にも書いたように,評価が複数いる場合には,その各評価者の評価結果が似たようなものとなっていることが極めて多いのが実情。その理由を口で具体的に説明することは難しい。実際の世界を通して,知らずのうちに各人にスタンダードが身に染みついているということなのだろうか。
 いずれにせよ評価する役回りは自分としては出来る限り,逃げたいものではあるのだが。

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