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2006.12.28

第9(だいく)

この曲をライブで最後に聴いたのは,朝比奈隆氏がまだ存命中の頃のこと。
それ以来の,久々のライブ第九。
そんなこともあって,今回はじっくり聴く機会となった。

ベートーベンの晩年の作品はとても複雑な曲が多い。
弦楽四重奏曲やピアノソナタなどがその代表的な例だが,特に弦楽四重奏曲なんて聴いていてもあまり楽しくもない。
当時,ベートーベンは,一つの世界を極めようとしていたのだとうと思うが,凡人の私には,極まりの世界を理解することなど不可能だと思うしかない。
それはともかく,当時は,難解な小規模作品ばかりしか生み出されなかったことから,もう交響曲等がかけなくなったのではないかと噂されたという話を聞いたことがある。
そんな中で発表された大作が第9(作品125)であり,ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲・作品123)である。いずれも,クラシック音楽の世界を代表する名作に数えられる。
モーストリークラシック(2007年2月号)に指揮者の大友直人氏が,第9は「最初は調性もメロディーもわからない。カオスみたいな世界です。」と指摘しているのを目にした。
確かにそうだと思う。
ベートーベンは,旋律とは思えないモチーフを元にして曲想を展開していくのがもともと得意であるが(ピアノソナタ「熱情」,交響曲「英雄」「運命」等)第9に至ってはかなり徹底されている。ぽわーんとした感じで曲は始まり,なんやらよくわからない間に曲が進んでいく。
そういう意味でも,この曲は,他の交響曲等と比してもきわめて特異な曲に属すると言える。
何かの始まりを示しているのだろうとは思う。演奏を聴きながら,何の始まりなのだろうか?宇宙だろうかとも思いを巡らせてみる。色々考えるのだが,一楽章の終わりにさしかかると更に考えを深めざるを得ない。
そう,第1楽章は,突如として始まる葬送行進曲で幕を閉じるのだ。
何の終焉を意味しているのだろうか・・・・・
となれば,第2楽章は「再生」を暗示しているのだろうか?
第3楽章の長大な平穏は何の意味があるのだろうか?
色々と考えを巡らせている間に第4楽章へとたどり着く。
そして,今までの楽章は全て第4楽章の冒頭で否定されてしまう。
何を否定しようとしているのだろうか?
その後に登場するのが,あの有名な「喜びの歌」といわれるテーマ。
そのテーマがチェロとコントラバスのユニゾンで奏でられる。音域も狭く極めて単純な旋律。
この当時,上記の通り,ベートーベンは極めて複雑で難解な曲を多数生み出していたのだが,そのような時期に,それまでにないような合唱を伴った大規模なオーケストラを擁する曲において,複雑さの対極にあるユニゾンによる簡単なメロディーを呈示しているのである。
考えて考え抜かれた結果なのだろう。
あとは,歓喜へと突き進むことになる。
器楽だけでなく人声をも伴って。
「合唱付き」と呼ばれるこの曲をラジオで最初に聴いたときは,とても悩んだ。
それは,いつまで経ってもコーレスが出てこないからだった。当時は,合唱のないバージョンがあるのだろうかとも真剣に考えた。
第9は,全4楽章で演奏時間を約1時間10分程度要する大曲だが,第3楽章が終わる45分頃が経過してもコーラスは全く登場しない。その後に第4楽章が始まってもコーラスはなかなか現れてこない。こんな有様だから,コーラスのないバージョンがあると初心者なら思いこんでしまっても已むを得ないでしょう(笑)
人声を伴って盛り上がり圧倒的なジャンジャカの末に曲は終わりを迎える。
ただ,昔から気になっている点がある。なぜ,最後は器楽だけで終わるのだろうか?終わりまでコーラスがあってもいいのじゃないのだろうか?と
今回も,再度色々な疑問が湧いた。
色々な疑問に対する答えは,きっと私には見つけることが出来ないのだろうと思うが,それだけ,色々思いそしてワクワクしながら聞き続けることが出来るのだろう。
それが狙い?
だとすれば,まんまとはめられたことになる(笑)
但し,それは幸福なことなのだけれども(笑)。


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