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2007.06.20

輸血拒否による死

 大阪の大学付属病院で本年5月中旬,帝王切開の手術を受けた宗教団体「エホバの証人」の女性信者が,宗教上の理由から輸血を拒否し,死亡していたことがわかった,と報じられている。病院側は,予めマニュアルを定めていて,マニュアルに基づいて本人から同意書や医師の免責証書を得たほか,家族にも輸血の許可を再三求めたが,断られたとのことである。
 なお,同病院の医師や看護師からは「瀕死(ひんし)の患者を見殺しにしてよかったのか」と疑問の声も上がっている。」との報道(毎日新聞)もある。

 この問題は,昔から有り且つ現在も解決や納得の難しい問題である。
 病院側の決断がそれでよかったのかとの思いも当然あるが,では,他にどのような方法があったのだろうか?とも考えざるを得ない。
 もう一つの選択枝として,後記の東京高裁の判決が示すような,受け入れなかったら(つまり入院を拒絶したら)よいのだとの考え方もあろうが,出産の予定期日も既に過ぎていて,受け入れ病院を新たにさがすとなると,時間を更に要することになり母子ともに危機に陥ることが容易に予想されるケースなので,その選択枝の選択は事実上不可ではなかったのかとも思われる。

 輸血に関しては,厚生労働省医薬食品局血液対策課によって「輸血療法の実施に関する指針」(改定版:平成17年9月)(以下,厚労省指針という)が公表されている。
 http://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/iyaku/kenketsugo/5tekisei3a.html#01
 因みに,『院内採血によって得られた血液(院内血)を含めて,輸血療法全般の安全対策を現在の技術水準に沿ったものとする指針として「輸血療法の適正化に関するガイドライン」(厚生省健康政策局長通知,健政発第502号,平成元年9月19日)が策定され平成11年には改定されて「輸血療法の実施に関する指針」として制定』されているがこの指針の改訂版となったものである。
 厚労省指針においては次のことが明記されている。
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Ⅰ 輸血療法の考え方
2.適応の決
3)説明と同意(インフォームド・コンセント)
患者又はその家族が理解できる言葉で,輸血療法にかかわる以下の項目を十分に説明し,同意を得た上で同意書を作成し,一部は患者に渡し,一部は診療録に添付しておく(電子カルテにおいては適切に記録を保管する)。
必要な項目
(1) 輸血療法の必要性
(2) 使用する血液製剤の種類と使用量
(3) 輸血に伴うリスク
(4) 副作用・感染症救済制度と給付の条件
(5) 自己血輸血の選択肢
(6) 感染症検査と検体保管
(7) 投与記録の保管と遡及調査時の使用
(8) その他,輸血療法の注意点
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 このとおり,厚労省指針においては,輸血療法の適応の決定つまり輸血を行うためには,「同意を得ること」の必要性が明記されている。従って,厚労省指針に従えば,「同意がない」場合には輸血療法の適応がない,つまり輸血を行ってはいけないことになるのだろう。このことから考えると,厚労省指針は,医療機関側による懸命かつ十分な説明及び説得にもかかわらず,理解能力のある人がそれでも輸血に同意しない場合には,医療機関としては輸血を行なってはならず,且つ,行わなかったことによって仮に重篤な結果をもたらされることがあったとしてもそれは已むを得ない結果であることを是認しているものと評価せざるを得ないのであろう。
 なお,厚労省がこのような見解を示していることが,後記の東京高裁の判断の際の根拠の一つとされている。

輸血拒否を行っている者に対して輸血を行ったことが問題とされた事案についての最高裁判決がある。
平成10(オ)1081 損害賠償請求上告・同附帯上告事件
最高裁判所第3小法平成12年02月29日判決
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=25350&hanreiKbn=01
判決文本文
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/97122711186556DD49256ACE00268986.pdf
当該判決より抜粋
 『本件において,E医師らが,Bの肝臓の腫瘍を摘出するために,医療水準に従った相当な手術をしようとすることは,人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として当然のことであるということができる。しかし,患者が,輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして,輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合,このような意思決定をする権利は,人格権の一内容として尊重されなければならない。そして,Bが,宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有しており,輸血を伴わない手術を受けることができると期待してD病院に入院したことをE医師らが知っていたなど本件の事実関係の下では,E医師らは,手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずる可能性を否定し難いと判断した場合には,Bに対し,D病院としてはそのような事態に至ったときには輸血するとの方針を採っていることを説明して,D病院への入院を継続した上,E医師らの下で本件手術を受けるか否かをB自身の意思決定にゆだねるべきであったと解するのが相当である。ところが,E医師らは,本件手術に至るまでの約一か月の間に,手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず,Bに対してD病院が採用していた右方針を説明せず,同人及び被上告人らに対して輸血する可能性があることを告げないまま本件手術を施行し,右方針に従って輸血をしたのである。そうすると,本件においては,E医師らは,右説明を怠ったことにより,Bが輸血を伴う可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず,この点において同人の人格権を侵害したものとして,同人がこれによって被った精神的苦痛を慰謝すべき責任を負うものというべきである。』
 この判決内容に鑑みても,患者本人の意思を無視して,医療機関側が輸血することにはためらいが生じてしまうと言わざるを得ない。
 但し,この判決に接する場合には注意しなければならない点がある。それは,この判決の上記部分が独り歩きしてしまっているという点である。本件判決は「本件事実関係の下では」とわざわざ断っていることを考えなければならない。この判決を理解するためには,事実関係を十分に理解しておく必要があるのである。

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補筆)6月24日
 本件事例の詳細については,次の各判決内容を読んでいただくことが必要だが,概要を言うと,本件患者を受け入れた病院は,過去にも患者を受け入れたことがあり且つ何度も無輸血の手術を行っているということがあり,そのことがあるので当該患者が入院してきたという事情がありそのことを病院側が理解していたことや,当該患者が輸血を絶対に受け入れない旨の表明を何度も行っていたところ1ヶ月間の入院期間中に病院側が内輪で有していた緊急時には輸血を行うという病院側の方針を患者側に伝えていなかった等(病院側も了知していた)患者側が有していた期待に大きく反する行動を病院側がとっていると評されても仕方がないとの事情が本例には存在したのである。
 このような事情を考えた上での判決であることを十分に理解して,この判決を評価する必要がある。
 従って,病院側において,当院では必要がある際には輸血を行う旨を予め断言し,また当院で入院継続し手術を行うためには病院の方針に従っていただくことが必要である旨を明示しているような場合は,本件判決の前提となる症例とは全く異なることになる。

 そして,またかなり特殊な事実関係であったことが考慮されて損害賠償義務が認められたのであるが,それでも,人格権侵害として認められた賠償金額は(弁護士費用相当分及び遅延損害金を除くと)50万円でしかなかった(請求金額は合計1000万円であった)ことも知っておく必要があろう。

なお,厚労省指針や最高裁の判決はさておくとして

<輸血を必要とする場合においても輸血を行わないという合意を行うことの有効性について>
2つの大きな考え方があるだろう。

当該事案の第1審判決(東京地方裁判所平成9年3月12日判決)
 『原告は,被告国との間で,手術中にいかなる事態になっても原告に輸血をしないとの特約を合意したと主張しているが,医師が患者との間で,輸血以外に救命方法がない事態が生ずる可能性のある手術をする場合に,いかなる事態になっても輸血をしないとの特約を合意することは,医療が患者の治療を目的とし救命することを第1の目標とすること人の生命は崇高な価値のあること,医師は患者に対し可能な限りの救命措置をとる義務があることのいずれにも反するものであり,それが宗教的信条に基づくものであったとしても,公序良俗に反して無効であると解される。』
 裁判長裁判官 大島崇志 裁判官 小久保孝雄 裁判官 小池健治

当該事案の第2審判決(東京高等裁判所平成10年2月9日判決)
 『絶対的無輸血の合意が成立したとは認められないが,念のため右合意の効力について当裁判所の見解を述べておく。当裁判所は,当事者双方が熟慮した上で右合意が成立している場合には,これを公序良俗に反して無効とする必要はないと考える。すなわち,人が信念に基づいて生命を賭しても守るべき価値を認め,その信念に従って行動すること(このような行動は,社会的に優越的な宗教的教義に反する科学的見解を発表すること,未知の世界を求めて冒険をすること,食糧事情の悪い状況下で食糧管理法を遵守することなど枚挙にいとまがない。)は,それが他者の権利や公共の利益ないし秩序を侵害しない限り,違法となるものではなく,他の者がこの行動を是認してこれに関与することも,同様の限定条件の下で,違法となるものではない。ところで,エホバの証人の信者がその信仰に基づいて生命の維持よりも輸血をしないことに優越的な価値を認めて絶対的無輸血の態度を採ること及び医師がこれを是認して絶対的無輸血の条件下で手術を実施することは,それが他者の権利を侵害するものでないことが明らかである。さらに,輸血にはウィルスの感染等の副作用があることは公知の事実であるしBが医科研を初めて受診した平成4年7月28日までに絶対的無輸血の条件下で実施された手術例が多数あり,この中には相当数の死亡例もありながら,死亡例について医師が実際に刑事訴追された事例がなかったこと(《証拠略》),同元年には,輸血療法の環境の変化に対応して,厚生省健康政策局長が輸血療法の適正化に関するガイドラインを定め,これを各都道府県知事あてに通知しているが,その1項目として,「輸血療法を行う際には,患者またはその家族に理解しやすい言葉でよく説明し,同意を得た上でその旨を診療録に記録しておく。」ことが挙げられていること(《証拠略》),同2年中には日本医師会の生命倫理懇談会が絶対的無輸血の条件下での手術の実施をやむを得ないことではあるが肯定する旨の見解を発表していること(《証拠略》),同2年からBの右受診前までの間に北信総合病院,国立循環器センター,聖隷浜松病院,京都大学医学部附属病院,上尾甦生病院及び鹿児島大学医学部付属病院などが絶対的無輸血の条件下での手術を是認する見解を発表しており,これを報道する新聞も,その見解に否定的な評価を示してはいないこと(《証拠略》),Bの右受診時点までに,法律学の領域においても,医療における患者の自己決定権,インフォームド・コンセント,クォリティ・オブ・ライフなどの問題につき患者の意思決定を尊重する見解が多数発表されていたこと(当裁判所に顕著な事実。なお,甲号証としては,第57号証,第59号証などがある。)などに照らすと,Bの右受診時点では,絶対的無輸血の条件下で手術を実施することも,公共の利益ないし秩序を侵害しないものと評価される状況に至っていたものと認められる。ただし,これは医師に患者による絶対的無輸血治療の申入れその他の医療内容の注文に応ずべき義務を認めるものでないことはいうまでもない絶対的無輸血治療に応ずるかどうかは,専ら医師の倫理観,生死観による。後記説明義務を負うことは格別として,医師はその良心に従って治療をすべきであり,患者が医師に対してその良心に反する治療方法を採ることを強制することはできない。もっとも,その良心に従ったところが医師に当然要求される注意義務に反するときは,責任を免れないことはもちろんである。』
 裁判長裁判官 稲葉威雄 裁判官 塩月秀平 裁判官 橋本昇二

 いずれの考えがよりしっくりと来るのか,それぞれで考えていただくしかない。
 上記東京高裁の判決やこれを支持する最高裁判所判決の存在及び上記厚労省指針の存在を考えれば,上 記病院の決断は已むを得なかったものと考えざるを得ないのだろう。
 しかし,では輸血を行うという決断を採りうるような考え方はないのだろうか?
 個人的に思うに,母親は子供を養育する義務がある。それもかなり強い義務が法律上認められている。従って,子供の養育の観点から考えると(判断能力のない子供の立場を一定の宗教的観点から考えることは妥当でない),養育義務を負担している母親の自由意思も制限されてしかるべきであり(母親は産むという決断をしている以上,子供のためにその意思等が一定限度制約されても已むを得ないであろう),従って,子供のためにも母親の命を輸血によって助けるという選択枝を選択するという道はあったのではないかとも思える(個人的には,十分に成り立つ立論であると思っている)。
 しかしながらこのような見解は一般的ではなく,厚労省指針においても明記されていないことを考えると,かなりのリスクを伴う決断ともならざるをえない。従って,上記のような病院の決断は已むを得ないものだろうと言わなければならないことを再度付言せざるをえない。

 なお,上記最高裁判所判決に関する「最高裁判所判例解説・民事篇・平成12年度(上)」には,次のような記載があることに注意しなければならない。
 『本判決は,本件の事実関係を前提として事例判断をしたものである。医師が,予定した手術の内容等によれば輸血を伴うことなく手術を施行することができるとの確信を有して手術に臨んだものの,予想外の出血に直面し,救命のためにやむを得ず輸血をしたという事案は,本件と異なるものである。また,(a)交通事故直後等において本人の意思を確認し難い場合,(b)判断能力の欠けている患者の場合,(c)患者が年少者であってその家族が輸血を拒否する場合等についても,本判決は,直ちに適用され得るものではないというべきである。』

最後に,この事案の第1審の判決(東京地方裁判所平成9年3月12日判決)においては,エホバの証人の輸血に対する考え方等が次のように摘示されているので,参考のためにあげておく。
 『エホバの証人は,キリスト教の宗教団体で,聖書に,「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。」(創世紀9章3,4節),「ただ,血を食べることはしないように堅く思い定めていなさい。血は魂であり,魂を肉と共に食べてはならないからである。それを食べてはならない。それを水のように地面に注ぎ出すべきである。それを食べてはならない。こうしてエホバの目に正しいことを行うことによって,あなたにとってもあなたの後の子らにとっても物事が良く運ぶためである。」(申命記12章23節ないし25節),「というのは,聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄のほかは,あなた方にその上何の重荷も加えないことがよいと考えたからです。すなわち,偶像を犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば,あなた方は栄えるでしょう。健やかにお過ごしください。」(使徒たちの活動15章28,29節)等,「血を避けなさい。」という言葉が何度も出てくるが,これは,エホバ神が人間に対し血を避けることを指示していると考え,人間は,血を避けることによって身体的にも精神的,霊的にも健康であると確信している。従って,エホバの証人の信者は,ひとたび体の外に出た血を体内に取り入れることは医学的な方法によってもできない,即ち,輸血を受けることはできないとの信念を有している。』
 『死は,エホバの証人の教義が命ずる到達点であるわけではなく,教義を忠実に守った結果生ずるかも知れない副作用に過ぎない。輸血という医療の1手段にすぎないものを受け入れないことが人命軽視とされるなら,手術により救命が可能と思われる患者が手術に応じないことや,化学療法による健康の改善が期待される患者がその治療を拒むことも同様に人命軽視と呼ばざるを得ない。原告の輸血拒否や輸血をしないことの合意は,患者が自分の人生をどのように送るかについての信念の表明(患者本人の生き方の問題)及び患者の生きざまや生命の質を理解した医師との合意であって,医の倫理に悖ることはない。』

更に,考えなければならない点

それは,仮に,信者である患者さんが亡くなった場合のご遺族の見解。ご遺族全員が信者である場合は,本人の意向に沿ってもそれほど問題は生じないのであろう。
しかし,ご遺族の中には,信者でない方がいる場合は少なくないであろう。そして,このような方々の中には,親の信仰に批判的あるいは理解をしていない方もあるだろう。
このような場合は,やっかいな事態を招くことが想像できる。
輸血をしないことの同意など,そのような考えを有しない人にとってはナンセンス。
そのため,輸血をしないことの同意の有効性を争うし,また,医療過誤があるような場合には同意の効果が及ばない等主張することもあるようだ。手術をしなかったらしなかったで,応召義務等の医師の義務を果たさなかった等主張することも予想される。
いずれにせよ,なにがしかの厳しい対応を迫られることがあり得る。
 このような点を考えると,やはり輸血に踏み切ってしまう方が良い場合が多いようにも思えるが,仮に,無理に輸血を行って,何らかの病気に罹患してしまった場合等どうなるのか?ここまで考えてしまうと,更に難しい判断を迫られることになるが,生命が助かることと比較すれば已むを得ないのではと思えるのだが,どうなのだろうか。


<平成21年4月1日追記>
刑法には次のような定めがある。
(自殺関与及び同意殺人)
第202条 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。

無輸血の手術を受けることが一種の自殺に該当するとすれば,そのことへの関与は,自殺の幇助といわれる可能性があることにもなるのだろうか。
厳密に検討していないが,「該当しない」との結論になると直ちに判断することも難しいように思える。

平井利明のメモ

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