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2013.03.05

ショスタコーヴィチの第九

クラシック界の世界では9番目の交響曲に世間を覚醒させる大曲を遺して去った人が少なからず。
誰でも知る大家といえばベートーベン。
ベートーベンの第九といえば,音楽界における革命的な出来事。
後世の作曲家は,生命をかけてもそれを越えることを求められた。
交響曲の大家のマーラーは第九交響曲の呪縛を逃れるために,実質上の第九交響曲に「大地の歌」と名付けて第九交響曲とは呼ばなかったが,その後第九交響曲を作曲後に絶命している。
そんな中で,資本主義社会を超越するべく誕生した社会主義国家における交響曲作曲家ショスタコービッチ。
第五交響曲で,社会主義国の作曲家としての名声を確立。
その後,第七交響曲(レニングラード・・・・・第二次世界大戦における戦勝を交響曲化した大曲),第八交響曲(戦争の悲惨さを更に深めた大曲)で社会主義作曲家の名を揺るぎないものとした人物。

社会主義社会において最初に期待された第九交響曲であり,第七及び第八交響曲に引き続く作品。そして年は第2次世界大戦が終了した1945年。

ソ連という社会における偽政者にとってどれもど期待された作品だったのだろうか。
きっと,資本主義社会を完全に駆逐する作品が期待されたのだろう。
時代は,粛清の嵐が吹き荒れた時代(後年よりはましか?),隣人がある日突然に消えて,そのまま帰ってこないということもあったのだろう。

そんな中での第九交響曲の発表。
ショスタコービッチは,社会主義体制から批判を受けるだろうと考えた第四交響曲を封印したことは知られていることだが,よくこの第九交響曲を作ったものだと思う。
最初にこの曲を聴いたときはあまり深く考えなかったが,その後,聞く度に思う。初演のときに立ち会った,政府関係者は作曲家の抹殺を考えただろうと。
ショスタコーヴィチの第九の後に第一シンフォニーを聴くと,その純で自由な気持ちと第九交響曲との繋がりを感じてしまう。

ショスタコービッチの作品の中では命がけの小品といえる第九交響曲は,芸術家の自由を考える上でとてもいとおしい。

春の祭典の100年目の今年に特に思うことかも知れない。

そんなことを考えずに自由に表現の出来る,今の日本を感謝したい。

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